想いの深さは袖の丈に比例する。
平安時代、主君は正室・側室を持っておられたようです。
主君は「今日は何処で過ごそうか」と牛車に乗り正室・側室廻り
をする訳ですが、待つ身としてはどうしても今宵はお立ち寄り
願いたい、どうしたらあの牛車を止める事が出来るのか何か良い
方策はないものか、女性というのは古えよりしたたかなものであります。
牛はいつもヨダレを垂らしているので塩の前では必ず
立ち止まるという習性があるそうです。
牛車の通り道に塩を盛ってみるとどうでしょう、ものの見事に
牛車は立ち止まるではありませんか。
料亭など玄関先に塩を盛っているのをよく見かけます、
これは清める意味もありますが、足を止める、客足を止める。
それが転じて千客万来となったと言われます。
「将を射んとすれば馬を撃て、主君を得んとすれば塩を盛れ」
塩盛りに成功した女性は見事主君の寵愛を受ける訳であります。
楽しく過ごした宴も夜も明ける東雲となるころには主君を
お見送りしなければなりません。ここで女性は演出家に変身致します。
楽しく過ごしたひとときが大変名残り惜しく、
主君に毎日でも逢いたい、また来て頂きたい、
そんな切ない想いをどうすれば表現できるのでしょうか。
さようならと短い袖で小さく手を振るよりは長い袖で大きく振った方が
想いはより一層強く伝わります。そういう訳で想いを強く伝える為に
次第に袖の丈が長くなり、振る袖が振袖になったと言われています。
近年振袖をお求めになるお客様のほとんどがご両親や祖父母の方が
ご用意なされます。娘や孫に対しての想いの深さではないかと感じております。
対象は違えど今も昔も想いの深さは
袖の丈に比例しているのではないでしょうか。
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